自分がいる世界が当たり前だと思っていた

生まれ育った田舎はどこにでもあるそこそこの地方で、生まれ育ったのはそこそこの一般家庭だったと記憶している。母も父も健在。

今思えば、母は教育熱心な方だったかと思う。

 

保育園、小学生の頃から毎日習い事。

右脳開発トレーニング塾、学習塾、英会話、ピアノ、ガールスカウト…、英語合宿なんてのもあったかな、今でも役立つものはあるか、まぁそんなことはどうでもいい。

 

その母は、とにかく感情の起伏が激しい母だった。大人になった今ならばその気持は少しわかる。

親だからこそ、少しでも幸せな人生を子どもには送って欲しい。だから子どもには色々経験を積ませ、将来のためにも豊かな経験を今のうちにしてほしい。

その気持は紛れもない真実だと思う。

だが、仕事や家事、2人の子どもの世話。母も疲弊していたのであろう。起こっている最中に突然真冬の庭に飛び出して何時間もその場で泣いていた。父に対して土下座して何かのあてつけのように謝っていた。そのストレスが私に向くことがしばしあった。

私は母の都合の良いサンドバッグであり、また、自分は良い母を演じていると確認するための愛情を注ぎ込む道具でもあった。

同級生の話を聞いても、親子喧嘩はよくあるとのことで、この件には当時特に疑問を持たなかった。

 

しかし、早くも小学生の頃から自分の家庭は変だと少しずつ感じていた面もあった。母の口癖は「地球に優しく、電気ガス水道の無駄遣いは許しません」

風呂は週1程。服も3日連続同じなんてザラにあった。毛ジラミまで湧く始末。

でも自分にとっての世界は、それも当たり前だと思っていた。同級生に、何故臭いと言われるのか分からなかった。運動会前の学級通信で、何故毎日お風呂に入って下さいと書かれているか分からなかった。あせもで肌がボロボロになっても、頭が痒くてたまらなくても、それはそういうものだと思っていた。

とにかく私は習い事のおかげで勉強は少しできたのに、決定的に不潔だったのである。そんな小学校生活を送っていれば、当然いじめが起こる。学校に行きたくないストレスからだったと思う。

 

初めて自殺を考えたのは小学5年生のとき。

小学5年生の発想である。当然、到底死には結びつかないものだ。毎日夜になると、2階の自室から窓を開け外を眺め、

ーーー飛び降りたら楽になるのかな。

と、ずっと夢想していた。